27『ジェシカに欠けていたもの』



 見る夢は大きい方が良い。
 夢など見ずに現実を見るべきだ。

 二つの意見はどちらも正しい。
 それ故に決着をつく事を知らない。

 しかし夢見て成功した人、現実を見て堅い人生を歩む人。
 それぞれに共通するのは、自分が見るものに対する姿勢だ。

 大きな夢を見ても見るだけでは絶対に叶わない。
 現実を見ても見るだけでは空しく堕落するだけ。
 見るものは違っていても、姿勢がなければ結局は同じ事だ。

 大切なものは姿勢。
 いつ、どこで、何があろうと、常に真直ぐそれを見据え、それに向かって前に歩く姿勢。

 人はそれを“志”と呼ぶ。



「う……うん」と、ジェシカ=ランスリアは狭いベッドの中で呻き声を上げて目覚めた。ガバッと身体を起こすと、ベッドの脇にリクが座っているのに気がついた。

「よっ、気が付いたか?」と、リクは明るく挨拶する。
「リク=エール?」

 ジェシカが目を丸くしていると、リクはいきなり顔を近付けて、ジェシカの顔色をチェックする。

「ん、体調に問題はねーな。《炎の矢》で火傷した部分はすぐに俺が魔法で直しといた。肌に痕が残ったら困るもんなー」

 言われて、ジェシカは自分の身体を見下ろした。確かに自分には傷一つ残っていない。まるで眠りから覚めただけだったようだ。同時に彼女は自分の服が着替えさせられている事に気付く。

「言っとくけど、着替えさしたのは俺じゃねーぞ。後から来たカンファータの医療班だからな」

 リクが先回りして言うと、その言葉を気にも止めず、ジェシカは上半身だけを起こしていた状態から、背中からベッドに倒れ込んだ。
 そしておもむろに左手を持ち上げ、腕輪のない手首を見つめる。

「そうか……負けた、のか」
「そして俺が楽勝した、と」と、何の慰めも混ぜず、リクが頷く。

 何の遠慮もないその言葉にジェシカは苦笑いを浮かべ、そして天井に向けて大きくため息をついた。

「……結局私は何も掴めなかったか」
「掴む? 何を?」

 一体何を言い出すのか、とリクは眉をしかめた。

「お前は弱かった。実際ジルヴァルトに闘わずして背を向けている」
「ん?」
「しかしお前は私に対し、自信を持って楽勝する、とまで言い、そしてそれを見事なまでに実践してみせた」
「ふむ」
「しかし魔力や体力、技術がこの短期間で一気に強くなるはずはない。だとすると後は心だ。私は今まで心で人間がここまで強くなるとは考えた事もなかった」
「ほう?」
「そして私があのジルヴァルトに対抗できるようになるにはお前と同じく、心を強くする事だと思ったのだ。しかしそのやり方が分からない。既にそれを掴んだお前と闘えば、何か得られるやもしれんと思ったのだ」
「心を強くするねぇ……」

 納得したように腕を組むリクだが、顔は若干紅潮している。何だかんだで結局誉められたのが原因だ。
 そんなリクに対し、ジェシカはもう一度起き上がり、改めて向かい合って座った。そして真剣な眼差しでリクを見つめる。

「どうか教えてくれないか? どうしてお前は、そこまで強くなれたのだ?」
「どうやってったって……特別な事やった訳じゃねーしな」

 リクは、困った顔をして後頭部を掻いた。

「しかし何かきっかけはあったのだろう?」

 再度問われ、リクはしばらく腕組をしたまま考え込んだ。
 そして重々しく口を開く。

「あるにはあった。でもそれだけじゃ足らなかったな。あの保証があったから、俺も吹っ切れる事が出来た」
「保証?」
「相手がどんな奴だろうと逃げずに立ち向かえば絶対に勝てるってさ」

 その答えにジェシカは閉口した。

「闘う前にもそんなことを言っていたな……しかし馬鹿な。そのような曖昧な保証を真に受けてそうなったのか?」
「真に受けてはひでーな。一応あんたで言えば、あのシノンみてーな奴の言葉だぞ」と、ジェシカの率直な感想を受けてリクは苦笑する。

「でも要因はもう一つある。実は俺には夢があってな、その夢を叶える為にはこんな大会で逃げ回ってちゃ駄目だったんだ」
「夢? 何だ、それは?」
「あまりにも馬鹿馬鹿しすぎて、他人にゃ教えられねーよ」

 リクは誤魔化すように表情に笑みを浮かべるが、その眼は真剣そのものだ。そして彼はこの世界最高峰のファトルエルの決闘大会を「こんな大会」とまで言った。
 話の流れからしてジェシカにもそのリクの夢とやらが途方もないものだとは容易に想像がつく。
 大体魔導士は夢見がちな生き物だ。しかし、夢は見て目標にするだけで、大概あるところで満足してしまう。
 しかしリクは、その途方もない夢を叶えられる現実として、そのエメラルドグリーンの瞳に捕らえている。

 そしてジェシカは何となく悟った。
 目指すものが違ったのだ。そしてそれに向かう姿勢も違っていた。
 心と夢、そして志。ジェシカはどれも今まで強さと関連付けて考えた事など無かった。力と技術、知恵。それが強さの全てだと思っていた。
 その点では総合的に、師・シノンに追い付いているとさえ思った。
 しかし彼に勝てる確率は万が一だと彼女は感じていた。
 それが何故なのか、彼女はずっと考えて来た。

 その後、大会前に行き着いた結論が、自分が女でシノンは男だからだ、という事だ。
 結果、彼女は自分の性別に劣等感を感じ始め、自分が女である事を隠し始めた。
 それが間違っていると、ジルヴァルトに知らされ、ジェシカは再び悩みに落ち、リクにその答えの糸口を見出した。
 その選択は正しいものだった。

 なんだかスッキリした表情で顔をあげるとジェシカは、リクに向かって頭を下げた。

「恐れ入りました、リク=エール様。今までの無礼、どうか御容赦下さい」
「え? な、な……?」

 いきなりの態度の豹変に、リクは思わずたじろぐ。
 はじめはあのような無骨な口調で、彼女の外見も凛々しいものに見えたものだが、このような丁寧な敬語で話されると、外見までしおらしく見えてきた。
 これが本当にさっきまでと同じ女性とはにわかには信じ難い。

「ま、まあそんなことはどーでもいいけど、その敬語どうにかならねーか? くすぐったくてしょうがねェ」
「とんでもない。あなたは敬愛されて然るべき人間、今に大勢の人間が貴方の足元に跪き、頭を垂れる事になるでしょう。じきに慣れますとも。ところで、こんなところで私などと話していてよろしかったのですか?」

 その質問に、リクが呆れた。

「おいおい、忘れちまったのかよ。元々おれたちが闘ったのは何の為だ? 俺が勝ったら俺がジルヴァルトより強い事を認めて、謝らせてくれるって言ったろーが」
「謝罪など必要ありません。そして私は認めます」
「いや、これには段取りがあってだな……とにかく!」と、リクは勢い良く頭を下げた。「済まなかった。俺はもう逃げたりしねェ。真正面からアイツとぶつかって倒す」

 そしてジェシカの眼を見て言った。

「シノン=タークス、それからお前に誓わせてもらう。……こうでもして他人に宣言しとかねーとまた逃げちまいそうだったんだよ」
「リク様、では貴方に任せます。私の代わりに、あのジルヴァルトを倒して下さい。お願いします」
「承知!」

 そしてリクは椅子から立ち上がり出口に向かった。

「じゃ、ゆっくり養生しろよ」


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「そこな少年、少し待て」

 医務室を出た直後、リクは背後から声を掛けられた。
 リクが振り向くと、そこには大会前日式典で見た時よりもっと質素な衣裳ではあったが、むしろ余計にがっしりとした体格が見られ、より威厳を感じられるハルイラ=カンファータ十八世が立っていた。

「カンファータ国王……!」
「私の肩書きはあまり気にするな。君に少し聞きたい事があるのだ」
「ほう、一国の王が俺に聞きたい事があると」

 リクはハルイラの言葉を素直に受け取り、本当にいつもの調子で話した。
 しかしハルイラはそれをとがめたりせず、むしろ面白そうに笑みを浮かべた。

「君は十五年前に優勝したファルガール=カーンと何か関係があるのか?」

 聞かれて、リクは少し考えた後、気が付いたように自分の来ている衣服を見下ろす。

「……やっぱりバレたか。だから着る時ちょっと迷ったんだよな」
「ふむ、その服装を見れば十五年前もここにいた人間ならすぐにピンと来る」と、ハルイラはゆっくりした動作でリクの西洋袴の袖を摘んで言った。

「聞きたい事はそれだけかい、王様?」
「ああ、もう一つ」

 ハルイラはリクの袖から手を離すと、一歩下がって続けた。

「君に感謝を」

 そしていきなり国王ともあろうものがリクに頭を下げる。

「は?」と、リクが面喰らっていると、ハルイラは頭を上げた。
「君はジェシカを殺さずに倒してくれた。あれがいなければ、今後の魔導騎士団は成り立たん。そしてジェシカは最近思い悩み、伸び悩んでいたのだが、さっきの会話を聞いてそれも解決した事が分かった。
 ジェシカはシノンの立派な後継者に成長するだろう。これは大変意義のある事だ。君に一方ならぬ恩を感じる。今後、何かに困るような事があれば、何でも言って欲しい。出来うる限り叶えよう」
「気にすんなって、ジェシカの件だって狙ってやった訳じゃねーんだから。ま、どうしようもなくなったら頼る事にするよ」


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 ハルイラと別れた直後に会ったのはコーダだった。
 その顔は何故か驚愕に満ちている。

「よう、コーダ。どうかしたのか?」
「兄さん、さっきの人、もしかして……」
「ハルイラ=カンファータ十八世、俗に言う、カンファータ国王だな」
「俗に言わなくても王様でしょう? 兄さんめちゃくちゃ普通だったッスね」

 確かにあの口調は、いまコーダと接しているのと、まるで変わりのない、普段通りの態度だった。

「そりゃ、始めはビックリしたけど、ま、良く見たら同じ人間だし、本人も肩書きは気にするなって言ってたからな」
「……それで本当に気にしないなんて……」

 そのリクを見つめるコーダの眼には、呆れが半分混じっていた。だが思い直すとコーダは顔を上げて続けた。

「そうそう、偶然なんスけど頼まれてた人探し、観客席でもう一人見付けたんスよ」
「誰だ?」
「魔導研究所のクリン=クラン。どーしやス?」
「当然、闘う! すまねーけど、受付に行ってエントリーして来てくれ」

 リクが頼むと、コーダが得意そうな顔で答えた。

「そー言うと思って、もうクリン=クランの了承を得てエントリーしときやしたよん」

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